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「もんど村塾」の村塾(そんじゅく)という言葉は、幕末の長州藩において倒幕の志士達を育てた、吉田松陰先生の松下村塾(しょうかそんじゅく)から命名しました。

江戸時代は、厳しい身分制度のもと、武士の子ども以外、学問を学ぶのは難しい世の中でした。しかし、長期間続いた徳川の泰平により失業した武士が、「読み・書き・算盤(そろばん)」を、商人や農民の子ども達に教えたと言います。
まさにその寺子屋が「もんど村塾」のモチーフとなっています。

寺子屋という学校で、当時の指導者達は、損得ではなく、一つの信念に基づき、学問を教え、指導者達と子ども達は師弟関係にあり、年上の門下生が年下の門下生を教えることで、教える子ども達の自立心が養われたと言います。

「幕末において、日本が欧米の植民地にならなかったのはなぜか?」
また、「現在日本人の識字率が世界のトップクラスにあるのはなぜか?」
それらは、当時の指導者達の努力のお陰と言っても過言ではありません。

実は、明治政府の富国強兵策において、義務教育を導入した基盤は各藩の「藩校」、松下村塾のような「私塾」、そして一番多かったのは「寺子屋」でした。幕末にそれらの学校は、全国に約16,000件を数えたと言われています。

学問、教育は国家の要(かなめ)です。「お金の多寡ではなく、奉仕の精神により、安価で人の成長を願うという暖かい気持ち」、
つまり「寺子屋的発想」が、今、この世の中に一番求められているものではないでしょうか。

「もんど村塾」の生徒が、「将来、世界で活躍する人材になってほしい。」
また、「そのような日本人を育成したい。」それが、私の願いです。 了

(注)当時、藩校・私塾・寺子屋の授業料は、完全無料ではありませんでした。寺子屋でも、商人からは金銭を、農家からは野菜などの現物を頂いていたと資料にあります。
Ⓜ️onde